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答案を書いた後の復習の仕方

秋学期に入ってからは、ほぼ毎日答案を書いているので、
ボールペンの芯が5本目になりました。
書いた答案も大分溜まってきました。

答案書いてるよ、というと
復習はどうするのか?
的なことを割と聞かれます。
そこで、今回はそのことについて。


個人的には答案を書く目的は

①思考プロセスの修得・修正
②答案の書き方のスタイルの洗練
③知識の確認

の三つを掲げています。
そして、②については、どの科目にもある程度共通したものがあるので
毎日書くたびに修正されていきますから
特に復習の必要はありません。
いうなれば、毎日復習しているようなものです。

次に、③については、確かに重要です。
しかし、私は基本書読みも勉強の計画に入っているので
取り立てて復習としてこれを行う必要はありません。
よく分からなかったところは基本書の該当部分に、「弱点」
とでもチェックを入れておけばよいのです。
そして、後で基本書読みの時にきっちり行えばよいし、
付箋でも張って置いて、ちょっとした時間が空いたときになどでも
読めるようにしておけばよいのです。
(ちなみに、私は弱点部分にだけ付箋を貼っておいて
5分、10分中途半端な時間があいたときに読むようにしています。)

そうすると、一番復習の必要があるのは、①です。
思考プロセスは、相当意識的にやらないと身につきません。
特に、自分の思考様式に合わない思考プロセスが要求されている場合はなおさらです。
思考プロセスに誤りがあった場合には、徹底的に復習する必要があります。
なぜなら、そうしないと、すぐに従来の思考プロセスに戻ってしまうからです。
従来そのような誤った思考プロセスをとっていたのは、大抵の場合、それが自分の
思考様式になじんでいたからでしょう。
そうすると、なじんでいたものを別の物に変えるには相当な働きかけが必要になるのです。
ですから、思考プロセスの修正という復習は、徹底的にやる必要があります。
そうしないと、おなじ論理ミス、論点抽出ミスを繰り返すことになります。
脳医学的にも、思考方法を変更することは相当意識的にやらないと困難であるという風に
どこかの本で読んだことがあります。

関連してですが、民法が得意で憲法が不得意だ、という人は
憲法学の思考プロセスが身についていないのが原因だと思います。
ある憲法の教授は、「公法のものの考え方が身についていない人は
民法や私法はできても、憲法ができない」とおっしゃっていました。
この教授のいう「公法のものの考え方」は、私の言葉で言い直ぜば、
公法の思考プロセス、ということになります。
これは、やはり相当意識的に取り組まないと改善は不可能でしょう。
(とくに、憲法の考え方は~などと明示的に示されていることはないので余計そうです。
ちなみに、憲法の思考プロセスの重要性、体得の仕方のヒントについて、
高橋和之『立憲主義と日本国憲法』374頁)

話が若干それましたが、
以上の通り、私が答案を書いた後、復習するのは思考プロセスの部分です。
ここがしっかり出来た場合には、復習はしません。
出来なかった場合にだけ、その部分を重点的に復習します。
具体的には、パソコンに記録して、
その後は時間のあるときに見返しています。
そして、具体的な方法ですが、

① なぜ、間違ったのか
② どうしたら間違わなかったか
③ 理想的にはどう考えればよかったか
④ ③あるいは、少なくとも②に到達するにはどうすればよいか

を検討して記録しています。
解説のしっかりしていない問題だと、②ぐらいしか思いつかず、③にまで至らないことが多いです。
LIVE本など、きっちりと思考プロセスが解説されている本ですと、一発目で③まで「正解」がわかります。

と、こんな具合です。
なので、復習にそんなに時間はかかりません。
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レポートとか

2年生になってからは実務科目でレポートの課題が多くなりました。
今もいくつか抱えているわけです。

レポート自体に不満はないのですが、レポートは好きではありません。
不満とまではいかないのですが、全く教わってない内容に対してのレポート
(たとえば、有罪無罪の認定とか)
を突然だされて、それが成績に反映するというのは
「教育」という観点からはいかがなものだろうと思ってしまいます。

それに、なまじレポートは時間をかけようと思えばいくらでもかけることができるので
逆にいえば、自分で見切りをつけなければいけないわけです。
自分が見切りをつけたところよりも
もっと時間をかけている人もいるわけです。
もちろん、時間をかければかけるほどよいものができるわけではありませんが、
そう思うと、たいていの人は果てしなく時間をけてしまいそうになります。
加えて、講義を受けていないもののレポートとなると、よい資料に巡り合えた者勝ちなところ
情報戦を制した者勝ちなところもあります。
よい情報にアクセスできるのももちろん、その人の能力のうちですが、
それで本当にいいのかなー
情報弱者はどうなるんだろう?
とか思ったりします。

そういうところから、私はいまいちレポートが好きではありません。
試験上一発勝負が好きです。
新司法試験も試験上一発勝負ですしね。

要件事実の勉強

要件事実の講義もそれなりに進んできまして
割と複雑な内容も扱うようになってきました。

この科目はとにかく頭を使って考えるということをしないと
全く身に付きようがないですね。
序盤の売買代金請求や所有権訴訟などは
暗記しようと思えばあっさり暗記できてしまいますが、
なぜこのような記述にするのか、ということとを
実体法の解釈、訴訟法の解釈、要件事実の在り方
など念頭に常にその意味を探究する姿勢でないないと
全然応用が効かないことになってしまいそうです。

私は講義の予習の際には
まず自分で起案してみて、その後に、
本や講義などで答え合わせをして、
足りない部分や誤った部分を赤色で追加し、
誤った記述は消さずに傍線を引っ張っておいて、
自分が間違ったところを後で見直せるようにしているのですが、
最近だんだん赤と傍線が増えてきました。

落ちこぼれないように頑張らねば。

法律が分からない

今、ある友人と答案を書いて交換しお互いに読んでチェックするということをやっています。
彼はその科目が不得意なんだそうです。

確かに、答案を読んでいて、理解不足だな、勉強不足だな、と思います。
教科書の内容を覚えてただ書いただけだな、ということが分かってしまいます。
どういうことかというと、文章につながりがないのです。
基本的な知識を書いてはいるものの、それだけなのです。
例えば、趣旨を書いてはいます。
けれども、その趣旨がその後の論述につながっていないのです。
趣旨が~だから、ここは~と解される、
という構造になっていないのです。
そのような文章では、書き手は理解不足なんだろうと、読み手としては感じざるを得ません。

このような現象に陥るのは、普段の学習(基本書の読み込み)のときから、
制度の説明をしている最初の部分、意義や趣旨の書いてある最初の部分が
その後に書かれている各論部分にどう繋がっているかを意識しないで勉強しているからではないかと思います。
普段から意識していないから、そういう発想、思考が頭にないため、
答案で基礎知識から論理を展開していくことが出来ないのでしょう。
そして、基礎知識から論理を展開することが出来ないから、
問題を解くことが出来ず、
したがって、その科目が苦手だ、ということになるのではないかと思います。
(私の場合の会計が分からないから会社法の計算がわからない、という特殊な例もありますが
一般的にはこういうことがいえるのではないか、ということです。)

答案交換をしているのとは別の友人も
法律が分からなくてしょうがない、といっています。
しかし、やはり、その人も同じではないかと思います。
おのおのの制度の一番基本的な部分から、各論を見ていくという思考方法がないのです。
そういう風に考えるんだよ、といっても、それができない、といいます。
できない訳ないんですが。
やろうとしてないだけだと思います。

ある先生が言っていました。

「法律なんて、所詮人間が人間の頭で作ったものだ。
作るときには、設計図がある。
その設計図を理解すれば、その設計図から作られたものはみんな分かる。
でも、設計図を見なければ、何がどうなっているのかを把握するのは非常に困難だ。
だから、設計図を理解しなさい。そして、その設計図を見ながら議論を見ていきなさい」

設計図(趣旨や法的性格)は、各法律の根源的なものと、その中の制度の一つ一つにあるでしょう。
民法であれば、私的自治という全体的な設計図の下に、おのおの制度について
取引の安全であるとか、外観法理であるとか、小さな設計図がある訳です。
制度間の違いは、この設計図の違いから現れます。
例えば、抵当権は非占有として設計されているから、返還請求権の是非という論点が出てくるわけですよね。
全ては、設計図から議論が始まるわけです。
そういう頭、発想、思考方法で普段の学習をすることが大事なんじゃないでしょうか。
おそらく、よい成績を出している人は意識してか知らずか、そういう発想・思考ができているのでしょう。

法律を勉強するときは、常に、今勉強している制度の設計図はどういうものなのか、
それを意識することが大事だ、ということです。

人権論の名のもとに

蟻川先生の「人権論の名の下に」という論文を読みました。
蟻川先生というと、昨年ちょっと残念な事件があったことで有名だと思います。
「好みだった」
という残念な理由も印象的でした。

ただ、警察での取り調べを受けた人の言では
取り調べではなぜか動機を絶対に言わされるので
自分としてはとくに何かを考えてやったわけではないけれど
とにかく何か言わなければいけなかったとのことで
だからこそ
「むしゃくしゃしてやった。今は反省している」
という訳の分からない動機がニュースで流れるのではないかとのことでした。

そうすると、蟻川先生も、とくに行動にでた理由はなかったのに
動機を言わねばらならないということで、こういうもの言いになったのかもしれませんねえ。
こんなことどうでもいいんですけど。。

本題に戻すと、私は、その事件のことくらいしか蟻川先生のことは知らなかったんです。
蟻川先生の文章を読むのはこれが初めてだったのですが
タイトルからして格調高いですよね。
これが文章そのもの、各項目のタイトルもそうなんですよ。
そして、この論文は、レペタ訴訟をメインに、博多駅事件判決などにもふれつつ
判例が使った「尊重」というワードに着目して、
判例の背景にある理解を探るものでした。
たった1語の「尊重」というワードから、かくも深遠な議論ができるものなのかと驚かされます。
蟻川先生の文章は難解なことが多いそうなんですが、
この「人権論の名の下に」は平易だと思います。

おそらく、取材の自由やメモの自由について
「保障」ではなく「尊重」とした意味はどこにあるのか、
保障とどう違うのか、については疑問を持たれている方が多いと思います。
そのような人はぜひ、一読してみてください。
所在は、法律時報69巻6号35頁以下です。

事例演習民訴法

第3問以降書いていこうと思ってたんですが
なかなか時間がないのでかけません。

とりあえず、軽く書評すると、
解説がコンパクトな上に、参考答案はないので、
初学者にはちょっと使いにくいと思います。
この本の解説だけで全ては分かりません。
基本書にや論文に当たる必要がでてきます。
したがって、基本的な知識と、ある程度民訴法の「答案の型」
を知っている人、身に付けている人向けなんじゃないでしょうか。

初学者には、辰巳のライブ過去問民訴がよいと思います。
絶版になったものの、万能書店で受注生産してくれるようです。
ライブ民訴は思考プロセスも学べますし、
問題に対する答案構成的なレジュメもついていますし
参考答案もあり、さらに、その答案を添削していく過程も記されているので
まずは、この本で演習するのが一番でしょう。

そもそも、私が事例演習民事訴訟法を購入したのは
このライブ民訴で落ちている論点を拾うためです。



ライブ本は
http://www.d-pub.co.jp/cgi-bin/bannou/shop/book_detail.cgi

表現

今日は4通もの答案を書かねばならず、
かなりのハードスケジュールでした。

ところで、答案を書いた後に自己添削をする際、
葉玉先生は、基本書などにあたるのは5分程度にしましょう
というのですが、それで本当に上手くやれるものなのでしょうか?

私はどうしても徹底的に調べてしまうので
(とはいえ、その問題に対して、正確に回答できるための知識と理解を得るという範囲内ですが)
どうしても時間がかかります。
基本書を見直しますし
判例も読みます。

5分でやれたらいいなとは思うのですが
5分ではたいしたことは出来ないですよね。

一度書いたことのある問題ならまだしも
未見の問題では無理でしょう。
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