日常的学習その1
1.はじめに
よく択一・論文に分けて勉強の方法をかかれる方が多いですが、私はそれ以前の日常的な学習態度も重要であろうと考えていますので、まずは日常的な学習態度について書いてみたいと思います。(そもそも、択一・論文の学習方法については、紹介したブログのsunさん、masoさん、イチローさんが詳細に語ってくれているところでありますので、わざわざ私が書く必要もないのではないか、と思っているところです。)
日常的な学習は、①基本書読み、②判例読み、③択一知識確認、④演習、⑤講義の予習復習、⑥論文読み、に分類できると思います。以下、それぞれについて、私が「あるべき姿」から帰納して気をつけていたことを書いていきたいと思います。
2.基本書読み
基本書の選択・読み方は一部すでに書いたのですが、ここでは、それ以外の話をしたいと思います。
まず、いわゆる「通読」について。「通読」というものを、「最初から最後まで通して読み切る」作業だとすると、私は「通読」はあまりしていません。ローの講義の予習復習にあわせて基本書を読んでいましたので、その限りで全科目ある程度の「通読」はしましたが、上に挙げた⑤とは別に、自分独自の学習時間の中にはあまり「通読」を組み込むことはありませんでした。
理由としては、私はあまり本を読むのがそれほど好きではないということ、あまり読むのも早くないということ、さらに、ただ基本書を読んでいるだけではなかなか頭に知識・理解が定着しづらいと感じたこと、masoさんなどのように、あまり基本書通読を勉強の中に組み込まずに成功している人も多いこと、基本書を読まずとも、論点表や択一の勉強、判例読みで知識は十分入ると考えたこと、が挙げられますです。
本の「通読」作業を最終的にしないことに決めたときの記事として、次のものがあります。
http://roguyomi.blog33.fc2.com/blog-entry-228.html
自分の学習時間の中で通読を行ったのは、
・高橋「立憲主義と日本国憲法」の人権部分
・桜井橋本「行政法」
・佐久間「民法の基礎1・2」
・潮見「基本講義 債権各論1」
・中田「債権総論」
・書研「民事訴訟法講義案」
・池田前田「刑事訴訟法講義」証拠法の部分
程度のものです。桜井橋本行政法は4~5回通読したと思います。それ以外は1~2回程度です。高橋と桜井橋本は、試験直前期(4~5月)にも通読しました。薄いので早く全体をまわせるうえ、書き込みを相当してあり、まとめノートの役割も果たす部分があったからです。
「通読」作業としてでなければ、私はかなり基本書を読んでいました。講義の予習や復習にあわせて、単元ごとに読んだり、③④の過程で疑問が生じたり、知識不十分だと判断した部分を読んでいました。とりわけ、③④の過程で基本書を読むことは効果的だと思います。人間の脳は何かに疑問を持ったときに活性化するそうなので、③④の過程で生じた疑問を持って読むと、見えてくるものが違うからです。
ただ、このようなつまみ読みの場合、法体系を見失いかねないという欠点があります。そこで、常に、自分が各法律の体系の中のどの部分を勉強しているのか、ということを意識して、勉強している分野の体系への位置づけをしっかりやる必要があると思います。体系的思考というのは、法律学においては非常に重要な思考だからです。
また、基本書を2度目以降に読むときに、覚えるべき部分にあたったらそれを諳んじていえるかどうかをチェックすることが多かったです。input作業だけでは記憶の定着は図れないからです。脳科学的にも、記憶の定着率はoutput回数に依存すると考えられているそうです。暗唱できたら一応覚えられたということで次へ進みます。暗唱できるまで次へは進みません。1度目やまだ理解できていない部分などは、理解に徹する必要があるので、このような暗唱作業はしませんでした。
さらに、これはまた後に詳しく書こうと思っていますが、新司法試験においては「思考力」がきわめて重要だと思われましたので、基本書を読むときも、ただ頭に情報を流し込んでいくのではなく、思考訓練をする必要があると考えていました。先日の記事で書いた論点の読み方は、基本書を読む過程で思考訓練をするための、私なりの方法です。
最後に、新司法試験は「思考力」重視の試験であって、「知識」はさして要求されないということをいう話がよくされています。確かに、それは正しい面もあると思います。しかし、問題はそこでいう重視されない「知識」の内容です。私は、細かい論証内容や細かい論点、最先端の議論といった「知識」は不要であると考えます。しかし、条文や制度や原理原則例外の趣旨・本質・法的性格・定義や、典型論点、重要判例といった基本的「知識」は、正確かつ確実に頭に叩き込む必要があると考えていました。本番では、このような基本的「知識」を問題分析の参考にしたり(典型論点、重要判例)、解釈の起点・指針・参考にして(趣旨・本質・法的性格・定義)、それまで培った「思考力」により、現場思考型の問題に回答する力が必要だと考えたからです。したがって、基本的「知識」は、その内容を「精確」かつ「深く」「理解」した上で正確に「記憶」する必要があると考えていました。そこで、基本書を読む際には、そのような基本的「知識」の習得に気をつけていました。
以上が私の基本書読みのスタイルでした。基本書を読むという作業でいったい何を達成すべきなのか、ということを考えて、その達成すべき目標を常に意識しながら、どうやったらその目的を達成できるか考えながら基本書を読むことが肝要だと思います。いつの間にか、基本書を読むこと自体が目的になったりしないように、手段の目的化に陥らないように、日々目的意識を持って基本書読みをするといいのではないかと思います。
3.判例読み
判例読みついて、過去に書いた記事として
http://roguyomi.blog33.fc2.com/blog-entry-261.html
http://roguyomi.blog33.fc2.com/blog-entry-211.html
http://roguyomi.blog33.fc2.com/blog-entry-173.html
ここで書かいたこと以外に強調したいのは、自分の頭でしっかりと事案を分析して、どのような事実関係の下に、どのような法的問題が発生したのかということをきっちり把握しておくことです。やはり、判例は当該事実関係の下での裁判所の回答ですので、どのような事実関係だったのかということが、そこで示された法解釈と同程度に重要です。法解釈だけ理解し記憶しても意味がありません。事実関係とセットで理解し記憶する必要があると思います。そうでなければ、頭の中にある判例を導きの星にして、目の前の問題とその判例との事案の異同を考えながら、問題に対して回答を出す、ということはできないからです。
判例学習については、今年の法学セミナーの8月号の宍戸准教授の連載も是非読んでいただきたいです。非常に貴重な情報が提示されています。masoブロさんが、この連載を下に記事を書かれていますので、是非そちらも参照してみてください(http://hayamaso.blog91.fc2.com/blog-entry-121.html)。
判例の解釈を覚えるときには、その決め手になった理由を覚えるようにしていました。決め手になるのが1つなら1つだけ、複数あるときや複数合わさることによって説得力を持つときには、複数です。決め手になる理由というのは、その問題の本質に対する回答になる理由です。ですので、決め手になる理由を見抜くには、問題の所在を正確に理解し、その問題の本質は何なのか、ということを考える作業をする必要があります(なお、基本書で通説の解釈を記憶するときも同じように行います)。判例は膨大に存在し、そのすべてを精確に覚えるなど不可能ですので、できる限り覚える量を減らすことが肝要だと思います。決め手に限定するというのは、そのための工夫の一つです。
なお、問題の所在・本質を見つけ出して、それに回答するという思考方法の習得にはは、大塚『刑法総論の思考方法』『刑法各論の思考方法』が役に立ちました。この本は、問題の本質は~なのだ、と示してくれているからです。この本を読んで、刑法だけでなく、他のあらゆる法律においても、このように問題の本質を探り出してそれに回答することが肝要なのだ、と意識付けをすることができました。また、この本を読むとわかると思うのですが、問題の本質は、多くの場合、その法律の基本原理・理念だったり、その条文・制度の趣旨や法的性格がかかわっています。これは先ほど述べた基本的「知識」です。だからこそ、基本的「知識」はしっかりと勉強する必要がある、ということがいえます。
長くなってしまったので、③以降は別の記事に書きます。
よく択一・論文に分けて勉強の方法をかかれる方が多いですが、私はそれ以前の日常的な学習態度も重要であろうと考えていますので、まずは日常的な学習態度について書いてみたいと思います。(そもそも、択一・論文の学習方法については、紹介したブログのsunさん、masoさん、イチローさんが詳細に語ってくれているところでありますので、わざわざ私が書く必要もないのではないか、と思っているところです。)
日常的な学習は、①基本書読み、②判例読み、③択一知識確認、④演習、⑤講義の予習復習、⑥論文読み、に分類できると思います。以下、それぞれについて、私が「あるべき姿」から帰納して気をつけていたことを書いていきたいと思います。
2.基本書読み
基本書の選択・読み方は一部すでに書いたのですが、ここでは、それ以外の話をしたいと思います。
まず、いわゆる「通読」について。「通読」というものを、「最初から最後まで通して読み切る」作業だとすると、私は「通読」はあまりしていません。ローの講義の予習復習にあわせて基本書を読んでいましたので、その限りで全科目ある程度の「通読」はしましたが、上に挙げた⑤とは別に、自分独自の学習時間の中にはあまり「通読」を組み込むことはありませんでした。
理由としては、私はあまり本を読むのがそれほど好きではないということ、あまり読むのも早くないということ、さらに、ただ基本書を読んでいるだけではなかなか頭に知識・理解が定着しづらいと感じたこと、masoさんなどのように、あまり基本書通読を勉強の中に組み込まずに成功している人も多いこと、基本書を読まずとも、論点表や択一の勉強、判例読みで知識は十分入ると考えたこと、が挙げられますです。
本の「通読」作業を最終的にしないことに決めたときの記事として、次のものがあります。
http://roguyomi.blog33.fc2.com/blog-entry-228.html
自分の学習時間の中で通読を行ったのは、
・高橋「立憲主義と日本国憲法」の人権部分
・桜井橋本「行政法」
・佐久間「民法の基礎1・2」
・潮見「基本講義 債権各論1」
・中田「債権総論」
・書研「民事訴訟法講義案」
・池田前田「刑事訴訟法講義」証拠法の部分
程度のものです。桜井橋本行政法は4~5回通読したと思います。それ以外は1~2回程度です。高橋と桜井橋本は、試験直前期(4~5月)にも通読しました。薄いので早く全体をまわせるうえ、書き込みを相当してあり、まとめノートの役割も果たす部分があったからです。
「通読」作業としてでなければ、私はかなり基本書を読んでいました。講義の予習や復習にあわせて、単元ごとに読んだり、③④の過程で疑問が生じたり、知識不十分だと判断した部分を読んでいました。とりわけ、③④の過程で基本書を読むことは効果的だと思います。人間の脳は何かに疑問を持ったときに活性化するそうなので、③④の過程で生じた疑問を持って読むと、見えてくるものが違うからです。
ただ、このようなつまみ読みの場合、法体系を見失いかねないという欠点があります。そこで、常に、自分が各法律の体系の中のどの部分を勉強しているのか、ということを意識して、勉強している分野の体系への位置づけをしっかりやる必要があると思います。体系的思考というのは、法律学においては非常に重要な思考だからです。
また、基本書を2度目以降に読むときに、覚えるべき部分にあたったらそれを諳んじていえるかどうかをチェックすることが多かったです。input作業だけでは記憶の定着は図れないからです。脳科学的にも、記憶の定着率はoutput回数に依存すると考えられているそうです。暗唱できたら一応覚えられたということで次へ進みます。暗唱できるまで次へは進みません。1度目やまだ理解できていない部分などは、理解に徹する必要があるので、このような暗唱作業はしませんでした。
さらに、これはまた後に詳しく書こうと思っていますが、新司法試験においては「思考力」がきわめて重要だと思われましたので、基本書を読むときも、ただ頭に情報を流し込んでいくのではなく、思考訓練をする必要があると考えていました。先日の記事で書いた論点の読み方は、基本書を読む過程で思考訓練をするための、私なりの方法です。
最後に、新司法試験は「思考力」重視の試験であって、「知識」はさして要求されないということをいう話がよくされています。確かに、それは正しい面もあると思います。しかし、問題はそこでいう重視されない「知識」の内容です。私は、細かい論証内容や細かい論点、最先端の議論といった「知識」は不要であると考えます。しかし、条文や制度や原理原則例外の趣旨・本質・法的性格・定義や、典型論点、重要判例といった基本的「知識」は、正確かつ確実に頭に叩き込む必要があると考えていました。本番では、このような基本的「知識」を問題分析の参考にしたり(典型論点、重要判例)、解釈の起点・指針・参考にして(趣旨・本質・法的性格・定義)、それまで培った「思考力」により、現場思考型の問題に回答する力が必要だと考えたからです。したがって、基本的「知識」は、その内容を「精確」かつ「深く」「理解」した上で正確に「記憶」する必要があると考えていました。そこで、基本書を読む際には、そのような基本的「知識」の習得に気をつけていました。
以上が私の基本書読みのスタイルでした。基本書を読むという作業でいったい何を達成すべきなのか、ということを考えて、その達成すべき目標を常に意識しながら、どうやったらその目的を達成できるか考えながら基本書を読むことが肝要だと思います。いつの間にか、基本書を読むこと自体が目的になったりしないように、手段の目的化に陥らないように、日々目的意識を持って基本書読みをするといいのではないかと思います。
3.判例読み
判例読みついて、過去に書いた記事として
http://roguyomi.blog33.fc2.com/blog-entry-261.html
http://roguyomi.blog33.fc2.com/blog-entry-211.html
http://roguyomi.blog33.fc2.com/blog-entry-173.html
ここで書かいたこと以外に強調したいのは、自分の頭でしっかりと事案を分析して、どのような事実関係の下に、どのような法的問題が発生したのかということをきっちり把握しておくことです。やはり、判例は当該事実関係の下での裁判所の回答ですので、どのような事実関係だったのかということが、そこで示された法解釈と同程度に重要です。法解釈だけ理解し記憶しても意味がありません。事実関係とセットで理解し記憶する必要があると思います。そうでなければ、頭の中にある判例を導きの星にして、目の前の問題とその判例との事案の異同を考えながら、問題に対して回答を出す、ということはできないからです。
判例学習については、今年の法学セミナーの8月号の宍戸准教授の連載も是非読んでいただきたいです。非常に貴重な情報が提示されています。masoブロさんが、この連載を下に記事を書かれていますので、是非そちらも参照してみてください(http://hayamaso.blog91.fc2.com/blog-entry-121.html)。
判例の解釈を覚えるときには、その決め手になった理由を覚えるようにしていました。決め手になるのが1つなら1つだけ、複数あるときや複数合わさることによって説得力を持つときには、複数です。決め手になる理由というのは、その問題の本質に対する回答になる理由です。ですので、決め手になる理由を見抜くには、問題の所在を正確に理解し、その問題の本質は何なのか、ということを考える作業をする必要があります(なお、基本書で通説の解釈を記憶するときも同じように行います)。判例は膨大に存在し、そのすべてを精確に覚えるなど不可能ですので、できる限り覚える量を減らすことが肝要だと思います。決め手に限定するというのは、そのための工夫の一つです。
なお、問題の所在・本質を見つけ出して、それに回答するという思考方法の習得にはは、大塚『刑法総論の思考方法』『刑法各論の思考方法』が役に立ちました。この本は、問題の本質は~なのだ、と示してくれているからです。この本を読んで、刑法だけでなく、他のあらゆる法律においても、このように問題の本質を探り出してそれに回答することが肝要なのだ、と意識付けをすることができました。また、この本を読むとわかると思うのですが、問題の本質は、多くの場合、その法律の基本原理・理念だったり、その条文・制度の趣旨や法的性格がかかわっています。これは先ほど述べた基本的「知識」です。だからこそ、基本的「知識」はしっかりと勉強する必要がある、ということがいえます。
長くなってしまったので、③以降は別の記事に書きます。
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